「聖(さとし)くんと会ったのはだいぶん前です。母親とはときどき連絡を取っていましたが。皆さまにいろいろご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありません」
九州に住む植松聖容疑者(26)の親族は、涙声でそう話した。
19人が刺殺され26人が重軽傷を負った、知的障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件。犠牲者の多くはベッドに横たわったまま殺害され、植松容疑者の行動は、足跡の血痕を辿ることでわかるほどだった。
1990年に東京都日野市で生まれた植松容疑者。小学校教師の父親と漫画家だった母親は大学の同級生。植松容疑者の両親の同級生はこう語る。
「2人は大学を出てまもなく結婚しました。すぐ子供ができて、若くして一軒家を建てました。僕らの間では、うらやましい存在。事件を知って、まさかあの2人の子供じゃないか、違ってほしいと思っていたんですけど」
母親が発表していたと思われる漫画作品を、本誌は入手した。1990年代に発行された月刊ホラー漫画雑誌に掲載されたもので、読者から募集した恐怖体験を漫画にした作品だ。
ある少女が母親の実家に泊まると、枕元に女性が現われる。「真っ赤なワンピースを着た血まみれの女の人が」というフレーズとともに、肩や額から血を流している女性が、ニヤッと笑いながら少女を見つめ、次の瞬間フッと消え去ってしまう という内容だ。
「お母さんは少女向けの作品をおもに描いていて、自宅に仕事部屋があり、編集者が来ていたようです。また、お父さんが乗る車は、ナンバーがさとくん(植松容疑者の愛称)にちなんだ番号になっていました。両親に溺愛されているんだなと思いました」
植松容疑者の同級生は語る。
相模原市内の公立小中学校を卒業した植松容疑者は、都内の私立高校を経て、教員を目指し大学へ進学。幼少時から人と違うことをするのが好きだったというが、このころからその性質がエスカレートしていく。
「大学に入って刺青を入れたんです。『やめろ』と言っても、本人は『(自分を)強く見せたいから』と、忠告を聞かなくて。次第に挙動不審になっていきました。目を合わせて話さないし、落ち着きがないんです。これは危険ドラッグや薬物でもやっているんじゃないか、と思いました」(同前)
植松容疑者は大学を卒業し、福祉施設での非常勤職員を経て2013年4月、事件を起こした「津久井やまゆり園」で常勤職員として働きだした。
「テレビでは、刺青を入れたころから徐々におかしくなったといわれていますが、そうではなく、急におかしくなったんです。3月に(措置入院から)退院したあとは、別人みたいでした」(別の同級生)
7月29日、植松容疑者の自宅からは大麻が見つかった。違法薬物を常用していた疑いがあるが、犯行が薬物の影響だったかは判明していない。
[via:週刊FLASH 2016年8月16、23日号]
http://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_d24921/
ホラー漫画家だった母親
朝日ソノラマが発行していた少女向け月刊ホラー漫画雑誌「ハロウィン」(1986~1995)の増刊として創刊された「ほんとにあった怖い話 読者の恐怖体験談集」(1987~2010)の単行本12巻(ハロウィンには1990年掲載、単行本は1991年発売)の著者が「植松麻里」となっている。植松容疑者の母親の可能性がある。
ぶんか社が発行していた少女向け月刊ホラー漫画雑誌「ホラーM」(1993~2010)の読切作品「いつもそばにいて」(1994)でも本名で掲載していたことから、本名=ペンネームとみられる。
公式的に公開はされませんが、ネットではすでに父親である、植松竜司さんの勤務先の小学校が町田市立第六小学校であることが判明しています。
臨時の全校保護者会で「息子が、とんでもないことをしてしまいました。申し訳ございませんでした。」と校長が父親の謝罪コメントを代読されたようです。
[via:http://evil-goodnews.com/archives/9131]
八王子テニスアカデミーに同性の植松さんが植松容疑者の記事によって大変迷惑をしております。植松さんについて八王子テニスアカデミーの記載されている記事の削除をお願いいたします。人権侵害になりますので宜しくお願いいたします。