夫の遺志 旅館再建 被災した場所…「これで良かったか」
東日本大震災の津波で被災した岩手県大船渡市の旅館が再建された。只野八百子(やおこ)さん(80)は、再建を見届けて病死した夫昭雄(てるお)さん=享年(83)=の遺志を継いで、復興工事の関係者らの寝食を支える。ただ、再建したのは流されたのと同じ場所。「本当にこれで良かったのか」との思いを拭えないでいる。(立石智保)
しゃしゃしゃしゃっ-。昨年三月十一日、砂利を巻き込んで進む波の音を聞いた八百子さんと昭雄さんは、海から約八百メートルにある只野旅館最上階の三階に逃げた。三階への階段まで海水が迫ってきた。
三日目の朝に救助された。テレビ局の取材に「再建しましょう」と答え、昭雄さんは「再建おじいさん」として話題になった。旅館を手伝う長女英理子さん(51)も被災直後からがれきを片付け、再建に強い意欲を見せた。英理子さんからは「お父さんが『再建、再建』と言うのはお母さんを元気づけるため」とも告げられた。
それでも八百子さんは、三カ月間は何もする気になれなかった。「このままがれきにして、高台に小さな家を建てた方がいいのかも」。鉄骨と基礎だけが残った無残な旅館の姿を見つめ、答えを探した。
「ほかに土地もないから」。一九七七年に開業し少しずつ大きくした旅館への愛着や借入金を完済していたことも後押しして、旅館は今年六月に営業を再開。昭雄さんも食器洗いなどをうれしそうに続けた。しかし、再開からわずか三カ月後の九月中旬に間質性肺炎で亡くなった。
再開以降は工事関係者の長期滞在が続き、二十室ほどの旅館は十一月の予約も埋まり始めている。玄関には近くの高台への避難経路を張り出し、万が一に備える。八百子さんは食事の準備や会計に追われる日々だ。
ただ、震災の影響で地盤は八十センチ沈んだ。一階の寝室で夜、横になると不安になる。「私が生きているときに次の津波が来ることはなくても、子や孫の時代は分からない」。同じ場所での再建は正しかったのか? 答えを見つけられないでいる。
[tokyo-np]
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