群馬県高崎市で生まれ育ち、多くの絵や詩を残して17歳で早世した山田かまち(1960~77年)が、「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品で知られる漫画家、水木しげるさん(1922~2015年)に寄せていた手紙が水木さんの遺品から見つかったことが分かった。
かまちが水木さんと手紙で交流し、慕っていることを示す文章や自ら描いたとみられる妖怪の絵が残っていた。8月に没後40年を迎えるかまちが、才能を育んだ過程を知る手掛かりになりそうだ。
「ちいさい時からキタロウがすきでした」
水木さんの関係者によると、かまちからのはがきが水木さんの1971年8月の予定帳に貼られていた。
「先生、おてがみありがとう」と手紙の返信を喜んだり、「ぼくはちいさい時からキタロウがすきでした」と打ち明ける文言や、「昼は石で1メートルだが、夜になるとうかんで身長50メートルになって町をおそう」との説明が付記された妖怪の絵が描かれていた。
表にはかまちの氏名や住所が書いてあった。予定帳の時期と照合すれば、かまちが11歳の時の手紙とみられる。
水木さん関係者は「予定帳にファンからもらった手紙を貼ることはあまりなかったので驚いている。何か水木先生の中で目を引くものがあったのでは」と受け止めている。
水木さんは創作で多忙な生活を送っていた時期で、予定帳で自身のスケジュールを管理していたほか、思い付いたアイデアを描くこともあったという。
かまちの母、山田千鶴子さん(80)=高崎市=は「かまちは自らの思いをすぐに実行に移す子どもだった。手紙を送ったことは自然なことのように思える。手紙からかまちの声が聞こえてきそうでうれしい」と喜ぶ。
山田かまち美術館(同市片岡町)の館長、塚越潤さん(64)は「かまちの積極性が分かる貴重な資料で驚いている。
水木さんが活躍していた時期で多くのファンが手紙を送っていたであろう中、手紙は、かまちの並外れた才能を今に伝えているようだ」と話す。
その上で「美術館として可能であればお借りし、展示させていただければ」と期待を込めた。
《山田かまち》
幼少期から絵の才能を開花させ、素朴で力強い感性が光る水彩画やデッサン、詩文を数多く残した。高崎高1年の夏、自宅でエレキギターの練習中に感電する不慮の事故で亡くなった。
高崎市片岡町に1992年に開設された私設の「山田かまち水彩デッサン美術館」を2014年に市が引き継ぎ、「山田かまち美術館」としてオープン。詩や絵画は高校の教科書に掲載されたほか、かまちをモデルとした映画も作られている。
[via:http://www.jomo-news.co.jp/ns/7214914924497222/news.html]
ネットの反応
・わざわざ水木さんがとってたのか すごすぎるよ
・音楽に寄り道しないで絵に専念してたら亡くならなかったのになぁ
・こんなことがあるんだね 才能が才能に出会ったんだなあ
・てか、どうやってエレキギターで感電死する?
・そんなに凄くないのにビジネス展開 がスゴイ
>そうでないものは消えていく
・山田かまちも生きてたら還暦間近か
・かまちなんて名前つけるぐらいだから親が意識高い系なんだろうね。そして子どもにいろんなことを経験させて仕込んで。子どものうちならその成果が出て同年代の子より遥かに優れて見えるだろうけど二十歳過ぎればただの人になっていたかもしれない。
・氷室京介がクラスメートだったんだっけ?
>小・中学校の時の同級生。 お互いの家に行ってはよく遊んだ仲だった。
>バンドを組んでいたことも
エレキで感電ってウソらしいな。