徳川家康の家臣として、徳川十六将の一人として徳川家に仕えた服部半蔵。
家康は世界で初めて、暗殺だけを目的とした村を設立。
つまり幕府が直轄管理する暗殺専門の忍者村を作った。
この忍者村の長が服部半蔵であったらしい。
半蔵は家康に仕え、要人の暗殺をして天下統一の一旦を担った。
晴れて天下統一を果たした家康は、数々の働き(本能寺の変の際、上洛中の家康を半蔵は一族を挙げて護衛した。これが有名な「伊賀越え」であり、この時に指揮官として、的確に働き家康の命を守った事により、その後も家康から重用される)をした半蔵の功績を称え今も名が残っている「半蔵門」という土地、地名を与え、半蔵へ最大級の賛辞を送ったというのだ。
しかし、半蔵は家康へある願いを申し入れた。
「土地、しかも私の名が地名になるなど勿体無い御言葉。ですが私にはもう一つ御願いが御座います。私を自由にして下さい。日本を自由に旅したいのです。」
この願いを聞き入れた家康は半蔵を自由の身にした。
そう、有名な松尾芭蕉として。
奥の細道は服部半蔵が書いた物なのであるという都市伝説。
元忍者だから老体にして1日相当数の距離を歩けたという説、徳川埋蔵金の在処を指し示す「かごめかごめ」を広める為であるという説、徳川所縁の者であるから藩が違う土地でもフリーパスで渡り歩けたという説が絡んで、この「服部半蔵=松尾芭蕉」同一人物説がある。